押忍!今日は『国鉄バス・鬼死骸停留所』にブッこんでくんで夜露死苦ゥ!!

…というわけで、今回は岩手県一関市真柴地区に出没。『旧・鬼死骸村』界隈での戯れです。愛羅武勇!

旧鬼死骸村

訪れたのはこのあたり。

現在の真柴一部・南町・千代田町・台町の辺りにあったとされる『旧・鬼死骸村』のエリアになります。それにしても『鬼死骸』ってすごい名称ですな、ちなみに読みは「きしがい」ではなく「おにしがい」らしいですぞ。

今回はここら一帯にある『国鉄バス・鬼死骸停留所』と鬼死骸伝説にまつわる『鬼石』『あばら石』などをまとめて巡ってみよう・・・という計画。

JR有壁駅と一関駅のおおむね中間にある地区ですので、私は例によって例の如く、

有壁駅から徒歩
そしてそのまま一ノ関駅まで徒歩

での訪問でした。

わたしゃ慣れているのでこの程度ならば近所のコンビニに行くくらいのノリですが、ノーマルな方は車で行くのが妥当かと。ただし、今回紹介する全てのスポットに駐車場はありません。路上駐車は近隣の迷惑にもなるのでご注意を。

いざ鬼死骸伝説へ・・・

鬼死骸村の地図

こちらは鬼死骸停留所に置かれていたパンフレット。鬼死骸村の地図となっていますが、現代の見やすい地図に慣れた人間の目にはなにがなにやら。とりあえず西が上になっている時点でカルチャーショックを感じますな。

そもそもなぜ『鬼死骸村』などというハードコアな名称になったのか。この地にまつわる鬼死骸伝説をざっくり説明すると・・・

鬼死骸村という名の由来

時は延歴20年(西暦801年)

坂上田村麻呂が陸奥國に攻め入ってきた際に果敢に戦ったのが、蝦夷の豪族の1人『大武丸』という男。
勝利した坂上田村麻呂は大武丸を打ち首とし、この地にその亡骸を埋めたことから『鬼死骸』と呼ばれるようになった…とのこと。
(諸説あり)

なお上記は東北人目線。あちら目線の文献やサイトではこれを「蝦夷退治」と表記し、「大武丸を成敗した」などと書かれたりしていますが、東北に住む者としては侵略者のクセに正義ヅラすんな、と言いたくなりますな。

…というわけです。

鬼死骸の「鬼」は決して桃太郎に出てくるような『頭にツノが生えて牙がある鬼』というわけではなく、大武丸という1人の人間を指すもの。彼については「追いはぎなどを行う山賊だった」「人徳者で村人から慕われていた」などなど諸説あり、その存在も定かではありませんが・・・・とりあえず『もののけ姫』でも描かれていたように、当時の東北地方の人間は人ではなく獣や鬼の類とみなされていた…という悲しい歴史の証でもあるかと。

ついでに追加しておくと…

鬼死骸伝説・オマケ話

大武丸を打ち首とした際、なぜか首だけは遥か遠くに飛んでいき、それが落ちた地が現在の宮城県大崎市にある『鬼首』、鬼の首が飛んできて落ちた地だから『おにこうべ』
(鬼の首がどこから飛んできたかは諸説あり、地元では「涌谷町の箟岳山から」という説のほうが有名らしい)

さらに大武丸は手も切り落とされており、それが飛んでいって落ちたのは宮城県の『手柄沢』(手骸が手柄と変化)という説も。

…てな説話も残っているそうです。

真偽のほどはさておき、とりあえず・・・

大武丸、あんたあちこち飛びすぎ(笑)

国鉄バス 鬼死骸停留所

…てな説明している間に、有壁駅から無事に『国鉄バス・鬼死骸停留所』までやってきましたぞー。

あちこち眺めながら来たので約1時間かかりました。

鬼死骸停留所前の道

見えます?車では直前まで気づきづらいかも…。

すぐそばに車を停めたくなりますが、駐車を控えるよう促す看板も設置されていますので停めないように。

鬼死骸停留所

じゃじゃーん!鬼死骸!

パラリラなバイクで蛇行する日本男児が好きそうな、エグい漢字だらけの名前ですな。

それにしてもずいぶんと新しい気がしません?よく見りゃフォントも今風ですし。

少なくとも5~6年前は何も書いていないボロボロの停留所跡だったはずですが、もしかして例の「鬼滅ブーム」が関係したりしているのでしょうか…。

鬼死骸停留所スタンプ

なんと停留所内の机にはスタンプも設置されており、記念に押す事も可能。

記念に手帳などにぺったんぺったん押して行くと良いですよ。

そして・・・

鬼死骸停留所ノート

鬼死骸停留所『自由帳』も。

どこから来たのか書くも良し、この地での感動を書くも良し。節度を持って自由に書いていきましょう。

ではここから次のポイント『鬼石』まで歩いていくことにしましょうか。実ちょっと手前に『あばら石』があるのですが、それは鬼石の次に。

鬼石(と、あばら石)

『鬼死骸停留所』前の県道260号線を北へ歩くこと約5分。

すると左手の田んぼの中に『鬼石』が。

鬼石前の道路

これまた車では停留所以上にわかりづらい。石の横に小さな看板はあるものの、目印になるのは石そのものなのでご注意を。

そしてここも駐車場はありません。さらに鬼石がある場所は私有地となっていますので、勝手にそばまで行くことも厳禁。パンフレット等では石に触ったりしていますが、許可のない一般観光客は歩道から見ましょう。もちろん私も許可はありませんので、歩道から望遠で撮影しています。

鬼石

こちらが『鬼石』でございます。

ここに大武丸の亡骸を埋め、その上に石を置いたというわけですな。

こんなデカくて重そうな石、どうやって動かしたのやら…。

さてさて、次は『あばら石』

鬼死骸停留所からこの鬼石に来るまでの途中、停留所側から見ると右手前方向に入っていく細い道があります。これがまたわかりづらいのなんのって・・・。

あばら石への道

がははは、こりゃ普通に通ったら絶対にわからん!

なお上の写真は鬼石側(北)から停留所(南)へ向かって撮影したもの。右手の道路の先が鬼死骸停留所になります。

ここは近隣住民が主に使用する道ですし、Uターンするスペースもないので車で入っていくのはアウト。健康のために歩きましょ。

あばら石への道

見えてきました『あばら石』

すぐそばにあるのは案内看板かと思いきや、火の用心の看板。訪問の際は電柱を目印にどうぞ。

あばら石

ほい、これが『あばら石』

なんでも大武丸を討った際に飛び散った死骸の破片…とのことです。おい!また飛び散らかしたんかおまえは!
(大武丸の配下の亡骸という説もあり)

どうやらここの看板は朽ちてしまった様子。もし観光客が車で入ってきたら非常に迷惑になりそうな場所ですし、ここは観光名所とせずにそっとしておくほうが良いのかもしれませんなぁ。

『鬼死骸停留所・鬼石』あとがき

鬼死骸のプレート

今回は仕事で一関に滞在中。宿へ向かう途中の戯れでしたが、ここ真柴地区は興味をそそるスポット多数で予想以上に徘徊させていただきました。

本当はここ以外にも鬼死骸神社』明治天皇小次遺趾・鬼石井』『豊吉之墓などにも立ち寄っております。

とても景色が美しく、居心地の良い雰囲気漂う地域でしたので、またいつか訪れたいな・・・と。

…で、坂上田村麻呂って何をした人でしたっけ?

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