『主題』と『背景』
多忙を言い訳に久しぶりのコラム更新。
以前、コラム『片目と両目』で「人間が見ている世界とカメラで切り取る世界は異なる」という話を書きましたが、それに似た話。
人によっては言われるまでもない内容かもしれませんが、その手の『ちょっとした撮影のコツ』をもっと書いて欲しいという要望を頂いたので、今回もそういった小ネタになります。
あなたの目も私の目も、人間の目はカメラのようにピントを合わせる機能が備わっています。
しかしカメラのように目の前の風景全てを見ているわけではなく、そこに脳の処理を加えた形で『目の前の映像』として認識するようになっています。
例えば動物園で「可愛いパンダがいる!」と注目したとしましょう。
するとその背後にある細かい部分はほぼ認識せず、後からそこに何があったかも詳しくは覚えていません。実際には網膜に映っているのですが、脳が『今はそこは重要ではない』と判断し、視界や記憶に留めない処理をしてくれています。そのおかげで見たいモノをより集中して見る事ができています。
ここが人間の目とカメラのイメージセンサーの違い。
カメラはレンズに取り込んだ光を全て記録します。絞りや露出で意図的に調整しない限り、人間の脳のように都合良く『重要ではない部分』を『気づかないような処理』で写真にしてはくれません。
そのため、「可愛いパンダだ!」とパンダだけを注視しシャッターを切った場合、その背後がおろそかになっている事が多々あります。
レフ機やミラーレス機で背景をボカした写真が印象的に見えるのは、人間の認識に近い状態を表現できるからです。
(最近はスマホでもデジタル処理で背景をボカす事が可能)
今回は具体的に写真を使って一例をあげてみます。
これは道端にあった地蔵を撮影したものですが、その背後にある樹木の位置は意識せず撮影しました。
(例題用にササッと撮影したものなので、細かい部分は勘弁)
これでも地蔵が主題であるとは伝わりますが、後ろの幹が地蔵の頭にかかってしまい串刺し構図で残念な仕上がりになっています。
10cmほど立ち位置を左に移動し、木の間に地蔵が入るようにしました。
さきほどよりも地蔵の輪郭が明確になっています。
この写真は背景をボカしてはいませんが、ボケを使っても色味や目立つラインなどで主題が邪魔されることは多々あります。
大事なのは『これを主題に撮ろう』と思ったら安易にシャッターを切らず、まずは落ち着いてその後ろをしっかりと見ること。
(瞬間を逃してはいけないような被写体はもちろん別)
深く考えず感覚や感性で切り取る…というスタンスを否定はしませんが、人間が持つ最大の武器は爪でも牙でもなく脳。過剰に肥大化し、自らの手で自らを殺してしまうまでに進化した脳ミソです。
これを活かさずして写真を撮るなんて、チンパンジーにカメラを与えたのと同じじゃないですか。「ウキー!…パシャパシャ!」みたいなもんですよ。
ではさきほどの写真から立ち位置をさらに左に80cmほど移動し、カメラを腰位置まで下げて撮影してみます。
木の幹や枝葉は右半分に移動、左側は葉の緑だけになりました。
さきほどよりも地蔵の輪郭が引き立った写真になっています。さらに構図や露出を変えれば、また違った雰囲気になるでしょう。
写真に正解はないので人によって答えは異なるでしょうが、私は1枚目の写真よりもこの3枚目の写真のほうがより印象的だと感じます。
『写真は引き算』という言葉を聞いたことがある方も多いと思います。
主題を注視してる時は脳が勝手に処理してしまっている部分を、一度落ち着いて再確認し、そのうえでより引き立つ位置・引き立つ角度でシャッターを切る。
撮影に集中することはとても大事ですが、意図的に集中を解き、客観的に見ることも同じくらい大事な行動だったりするのです。
それができたうえで、写真に足し算(主題を引き立てる副題や置き色)ができればなお良し。
先ほども書きましたが写真に『全ての人間に共通する正解』はありません。
野性的に本能のままシャッターを切る事で素晴らしい作品が生み出せるならば、それはその人にとっての正解。100人いれば100通りの正解がありますし、それを自分以外に押し付けるのはナンセンス。
今回の小ネタはあくまで私の手法。『写真は脳で撮る』での話です。
「そんな面倒臭いこと考えて撮っても楽しくない」という方は、好きにバシャバシャ連写して下手な鉄砲数撃ちゃ当たる撮影をすれば良い話。
どこかの誰かの参考になれば幸い・・・の話です。